Cycle Road Race Team Grandi Petit

Race Report

第37回ツール・ド・おきなわ 2025大会(中村一登選手:マスターズ140km 6位入賞)

開催日 2025.11.09
場所 沖縄

参加選手

赤澤和徳、中村一登、長谷川敏二、仲田泰輝

レポート

赤澤和徳選手のレポート

ツールドおきなわ2025市民レース50kmオーパー60(15位/154人出走)。
ニセコクラシック、日本スポーツマスターズと並んで今年のメインレースに掲げていた一戦。
昨年は荒天中止につき以前の140kmから50kmへ移行しての初めてのレースとなった。
エントリーリストには170人近い参加者、60歳以上とはいえ全日本チャンピオン含めここには強者が集う。
スタート前の高揚感からして沖縄はやはり他レースとは一味違うんだよね。
レースは晴天かと思いきや島特有のスコールに見舞われ雨は止んだが路面はフルウエット。
それでもレジェンド雄二さんの掛け声でレースは熱く火蓋を切る。
序盤はスローペース。
なれど路面の悪条件もあって油断はできない。
常に15番手以内をキープしつつ車幅タイトな本部港エリアは先頭で通過しつつ、勝負所の美海水族館、その後の今帰仁の登りを見据えての走り。
集団は全日本チャンプ、ゼッケン一桁を中心に進む。
水族館の登りで必然ペースが上がるが集団は崩れず、私も何度か前に出てペースアップを目論むも賛同者は少ないw
回りませんねと声かけてくださった全日本チャンプに次の登りで仕掛けませんかと伝えたら案の定、猛烈なアタック。
あまりに速すぎて三番手で追ったが結局狙った二人逃げは失敗(私のせいです…)。
その後もペースは上がらないままラスト5kmのイオン手前の登り、昨年2位の方が加速する。
三番手で追走しこのまま逃げが決まるかと思いきや後方もしっかり対応で大集団のままラスト展開へ。
そこからは脚を使ってもいつでも前に上がれるポジションを狙ったが集団の真ん中に閉じ込められ…。
じわじわ下がってやっと右ラインに位置取ることができたが、前に上がろうとした瞬間(ラスト1km地点)左前方の方が落車。
右に倒れて頭を踏みそうになったのでフルブレーキ、ギリギリかわしてリスタートも集団は遥か前方に。
そこから全力で踏んでラスト500mで追いつくもさらに後ろで落車。
それでもやっと前が開けたのでラスト300m行ける!と振り絞ったがなんと前方右車線が前カテゴリーの方の落車で封鎖(黄色旗降ってましたw)。
そのまま背後見て進路を左に寄せてしんみりフィニッシュ。
こんなにも達成感なく、高揚もなく、失意のままゴールしたのは沖縄参戦以来初めてかもしれない。
結局前に上がる脚もなく、勇気もなく、覚悟もなかったのかなと。
レース後ホテルに戻ってリカバリーのバナナ食べていたら奥歯の詰め物が取れました。
よっぽど噛み締めていたんだなあとw。悔しさ含め。
前に突き抜ける力とメンタルが欲しいなと思った今回の沖縄でした。
おひまい

 

長谷川敏二選手のレポート

第37回 ツール.ド.おきなわ2025
マスターズ140キロに出場。 
スタート前から緊張感と不安感。初めて出るレース。しかも沖縄。そして140キロ。 
スタート直後は大集団からの上りで先頭集団から千切れる。
そこまでは自分の中では想定内というか流石に先頭集団で走れる力はまだない。  
千切れながらも頑張って上り下りしてたら自然と集団が形成され平地は高速巡行。
集団内で足を休めればいいのだが自然と前にいて集団を引く時間もあった。
それはそれで自分的には気持ちが良い 
からの2回目の上り。 
上りになると集団はバラバラになるもマイペースで上り続けた。  
そこまでで約70キロ。  
残りの70キロもエグい。 
上り下り上り下りの時々平地。 
もう両足バンバン攣りまくり。
水かけたり力の入れどころ変えたりで何とかしのぐ。
マジで上りはキツかった!!! 
残り5キロになると後は下りのみ。 
下り始めると走りながら号泣した。 
ここまで復活して走れるようになった! 元気に走ってる!! 嬉しかった。大怪我を乗り越えて完全大復活じゃ  
補給で貰ったボトルをまた来年返しに出たいと思ったレースとなりました。 
たくさんの人に応援してもらって無事に元気にゴール出来ました!! 本当にありがとうございました!!   
2025年はまだ終わらない。次はプロペルの出番となるかな!!

 

仲田泰輝選手のレポート

ロードバイクを初めてもうすぐ5年。
GPの諸先輩方がツールドおきなわに参戦されてるのを見ていつか自分も行きたいと思うように。
そんな憧れの舞台に挑むべく、土曜日の朝一番の飛行機で沖縄へ向かいました。
ロードバイクを預けての移動はなかなか大仕事ですが、ANAはサイクリストにとても優しく、スタッフの方が手際よく対応してくださり、安心して預けることができました。
那覇空港に到着後、レンタカーを受け取り名護へ向けて北上。
途中、沖縄の同業社が運営している恩納村の「シーサイドドライブイン」に立ち寄りました。
看板猫の“小次郎くん”が、堂々とした(というか少々ふてぶてしい)姿でお出迎え。
チャップステーキと名物スープをいただき、エメラルドブルーの海を眺めながら過ごす時間はまさに南国のご褒美。
米軍文化の香りが残る店内はどこか懐かしく、旅の始まりにぴったりの一軒でした。
名護に到着してからは、自転車を組み立て前日受付へ。
ここでどうしても会っておきたかったのが、BPSナカヤマの名越さん。
ショップを代表して、ツール・ド・おきなわの公式サポートを長年務めています。
「名護市で名越(なごしでなごし)」という、これ以上ない再会の舞台で(笑)
組み立て後に気になっていたフロントブレーキをしっかり整備してもらいました。
おかげで機材の不安はゼロ。
あとは思い切りペダルを踏むだけです。
大会前の緊張の中にも、人の温かさに支えられていることを感じた一日でした。
レース当日――南国の朝に心拍急上昇
参加したのは「50kmフォーティ(40歳代)の部」。エントリーは87人。
朝4時に起きて、おにぎり2個とバナナとヨーグルトを口に入れ、まだ暗い中を自転車で会場へ向かう――そんな予定でした。
ところが、外に出た瞬間、まさかの雨。
天気予報では晴れのはずだったのに……さっそく南国の洗礼を受けます(泣)。
自走をあきらめて車で会場入りし、体を冷やさないようにギリギリまで雨宿り。
整列時間6時30分の10分前に待機場所へ向かうと、すでに多くのバイクが並んでいました。
スタート地点へ誘導されると、胸の鼓動がドクドクと速くなるのを感じます。
何もしていないのに心拍はすでに100オーバー。
今まで出たどのレースよりも、緊張している自分がいました。
そして7時、スタートの合図。
太鼓の音が鳴り響き、会場全体が一気に熱を帯びます。
先導車の後ろで隊列を整え、いよいよリアルスタート。
噂通り、最初から“バチバチ”です。
「本当にみんな40代?」とツッコミたくなるほどのスピード。
心拍はあっという間に170を超え、すでに全力。
それでも、先頭集団から遅れたら勝負は終わり。
出し惜しみは禁物です。
12km地点を過ぎたころ、ようやくペースが落ち着き、集団は半分以下に。
次の勝負どころは20km地点、美ら海水族館付近の坂。
ここは事前に「セレクション(集団が分かれる局面)」になると予想していたので、集団の前方をキープ。
ここでも力を惜しまず踏み込み、なんとか先頭に食らいつきました。
この時点で残ったのは20人ほど。
坂を越え、下りに入ると、少しでも体力を回復させるためにドラフティング
しかし次の難所、今帰仁(なきじん)の坂で再びペースが急上昇。
ここでついに先頭から離れてしまいました。
先頭は5人、私が入った第二集団は15人。
このままでは表彰台どころか、レースが終わってしまう。
そのとき、オフィシャルカーから「先頭との差、15秒!」
15人いれば、1人1秒ずつ詰めれば追いつける――計算は単純です。
誰も諦めませんでした。
個人戦でありながら、ここでは仲間のように協力し、声がけして全員でローテーションを回します。
集団の先頭に立った選手が全力で風を切り、次々と交代していく。
敵同士なのに助け合う――ロードバイクの醍醐味を味わいまくります!
そして残り8km。
ついに、先頭集団に追いつくことができました。
最後の力を振り絞り、ペダルを踏み込みます。
ゴールとその先――全力の先に見えた景色
先頭集団に追いついたあとは、すぐにアタックがかからないか注意しながら合流しました。
あと一つの坂を越えれば、あとはゴールに向かうだけ。
例年はラスト2kmで一気にペースが上がり、ゴールスプリントへ突入するようです。
私も逃げや動きがないか前方で警戒しますが、周りは静かに見合っている状態――まさに“嵐の前の静けさ”です。
残り1kmを過ぎると、ついに1人の選手がスプリント開始。
その合図で全員が一斉に加速します。
無酸素領域で呼吸はしんどく、脚は悲鳴を上げています。
もともとスプリンターではない私は優勝は諦めつつ、少しでも上位にとゴールスプリントに食らいつきます。
スプリント力の桁違いさに圧倒されつつも、全力を振り絞ってペダルを回しました。
そして――ゴール!
身体の力はもう残っていません。
フラフラになりながらも、共に走った選手たちと「無事に完走できた!」と称えあいます。
記録証を受け取り、順位を確認すると、なんと10位。
大会2週間前にぎっくり腰で練習に制限があったにもかかわらず、先頭集団に食らいつくことを目標に挑んだレースで、この結果は自分にとって大きな自信となりました。
この経験があるのは、諦めず最後まで一緒に走った選手たち、大会を支えてくださったスタッフ、沿道で声援を送ってくれた地元の方々、そして日頃から練習を共にしてくれる仲間のおかげです。
心から感謝しています。本当にありがとうございました。
ロードバイクという趣味を持ち、こうして挑戦しなければ味わえなかった経験は、まさに人生の宝物です。
来年も必ず、ツール・ド・おきなわのスタートラインに立ちたい――そう強く思える大会でした。

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